こんにちは、ぼびーです。
久しぶりの更新になりました。
7月下旬にジュニアが誕生し、落ち着いてきたのでこれまでの道のりをざっとまとめていきます。
詳しい内容については今後更新していきます。
5月GW明けの検診
GW明けの検診。前年の同時期に最初の子が流産したこともあり、前の子を思い出していました。
仕事から帰り、結果を聞くと「前置胎盤」と告げられた。
主治医が描いた図を見せてもらい自分でネットで調べてと妻に言われた。
結果として怖いことしか書いてない。そりゃネット記事もリスクを書かかんわけにはいけんからね。
それから二週間後・・・
検診で新たな事実が発覚した。
「前置血管」と呼ばれる状態だ。今回もネットで調べてと言われ、見ると前置胎盤より怖いことばっか書いてあるじゃん。。。
もちろん私以上に妻のほうが恐怖であったと思う。子供のみならず自身も危険な状況になるかもしれんから。
それからは帝王切開が既定路線で、入院もあり得るとのことで入院に備えての準備に追われるようになった。
4月頃につわりが落ち着き、出産準備や出産前の二人の時間、マタニティライフと言われるものをやっと楽しめると話していた矢先のことであった。
そして、私のスマホに凶報が届く。。。
6月中旬の緊急入院
6月10日 休憩時間にスマホを見ると義母からLINEが入っていました。
「今朝、大量出血があり救急車で運ばれ、緊急入院となった」と。
縫合処置を行い止血はできたことも書かれておったが、やはり不安がありますよね。
そして会社を早退し、病院に向かい妻と面会。
母子共に安定していると聞き、ここで初めて安堵しました。
病院の面会制限もあり、30分ほどで退出したが、後日先生から状況とリスク、帝王切開の日取りなどの説明を受けました。
そこで「前置胎盤」「前置血管」さらなる問題、胎盤が子宮の真正面に形成されており、切開する場所が子宮上部しか残っていないとのこと。
先生の話を聞いていると、前置胎盤は珍しくないが前置血管は年1.2人くらい、それに加え正面に胎盤がある患者は初めてだと。
最悪の状況ですよね。もっとひどい状況もあると思いますが、私自身はそう感じました。
「~よりはマシ」だと思えませんでしたからね。。。
そんなこともあり2か月以上入院することになるが、命の危険がある以上病院より安心できる場所はないと思い、妻も納得していました。
それからは帝王切開に向けて体調管理、主に貧血解消と輸血用の自己血採取に入っていきました。
それからは問題なく予定日まで過ごしていき、あと一週間、あと5日とカウントしていました。
妻としても予定日に万全の状態で帝王切開したいと考えており、不安の中カウントしていたようです。
予定日まであと4日となった日の昼過ぎ、妻から電話が来ました。
普段、電話することは無いのに。。。
運命の日 緊急の帝王切開
妻からは「破水したから、これから緊急手術の準備に入る。先生からの電話に備えてて」
とのことでした。
破水だったのでまだ猶予があったのでしょうが、私は前置血管の話を聞いた時に、自然分娩が始まると血管が破裂して母子ともに危険になると思っており、慌ててしまいました。
会社に事情を説明し、早退しようとしたとき、バカ常務がなんで帰るの?帰らないといけない理由は?」とか抜かしたと上司が言ってきました。
タイミングが悪いことにコロナで自宅待機している人と県外旅行している人が重なり、私の代わりができる人がいないから規則上無理。とかなんとか。
こっちは妻と子の命がどうなるかわからん状況なのにふざけんなと。
愚痴はこのへんまでにして。。
夕方5時半に手術を開始したと義母から連絡が入り、そのすぐ後に病院に到着しました。
そして午後6時24分、無事ジュニアが誕生しました。
36週での出産となりましたが、体重も2580gあり元気に産声をあげていました。
1分くらいの対面でしたが、感無量でしたね。
あとは妻の処置になるのですが、それがなかなね。
ナースステーションが少し慌ただしくなってきて、「B持ってきて!」とか「玄関に急いで取りに行って!」とか
バッグ持った人が「B型です」とか言っているのが聞こえ義母に確認したら妻もB型だと。
まじで焦りますよね。そしたら手術室前に呼び出されたんですよ。
ビクビクしながら医師と話すと輸血の同意書にサインしてくれと。そして出血についてはなんとか止まって今縫合処置中だと。
ここで初めて命が助かったと思えました。
そして手術開始から4時間後、ようやく妻と面会でき、感謝を伝えることができました。
麻酔の影響で意識もはっきりしない状況で懸命に話してくれました。
ジュニアの動画を見せ、義母の言葉に涙し、痛みに耐える姿に様々な感情がまじり、感謝以外に言葉にすることができませんでした。
それからの数日は激痛にひたすら耐える状態でした。痛み止めをしないと耐えられないが脚が動かないのでベッドから起き上がることもできないようです。
ベッドから起きるのを目標にしても痛みに耐えられず痛み止めをすることもあり、ジュニアとの面会もできなかったようです。
そして、強制的に痛み止めのチューブを抜かれ、痛みに耐えるしかなくなったようです。立ち上がることはできても痛みが酷いみたいで、なんと声をかけていいのやら。。
その後は、痛みに耐えながら授乳を開始し、少しずつ回数も増やしていったそうです。
今現在、貧血が改善されていないので退院のメドがたちませんが、毎日頑張って子育てと回復をおこなっているようです。
これまでの経緯をお話ししましたが、幸いにもどれも最悪の事態から一歩二歩手前で留まってくれて母子共に無事に過ごしております。
病院としてもリスクの説明をする義務があるそうで、怖いことばかり話していましたが、主治医以下スタッフの協力のもと無事出産を終えることができました。
本当に感謝しかないです。
そして命を懸けてジュニアを産んでくれた妻、私たち夫婦のもとに生まれてくれたジュニア、家族や周りの友人たちに心から感謝しております。
後日、再び主治医から呼び出され、また嫌な状況を説明されましたが、それはまた別の機会に更新します。
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